全国旅手帖九谷焼(歴史・特徴)

九谷焼写真 九谷焼タイトル

 江戸時代初期の明暦元年(1655年)頃、藩の肝いりで、山中温泉をさらに入った山奥に御用窯が築かれ、やきものの焼成がはじめられました。それらは加賀百万石の文化の華麗な装飾性に強く影響され、これまでにない独特な様式美を確立した磁器として完成しました。それが、現代でも数寄者や古美術ファンなどによって珍重される、「古九谷」と呼ばれる名器の誕生の瞬間でした。
 しかし、元禄年間(1688〜1703)の1701年頃、開窯からわずか40年後に突然、廃窯してしまいます。その後、およそ100年の空白期を経た文化年間(1804〜17)以降、「再興九谷」と呼ばれる諸窯が、加賀の各所に次々と開窯しました。代表的なものとしては、京都から名工・青木木米を招いて、金沢の卯辰山に窯を築いた加賀藩窯・春日山窯、若杉村の庄屋・林八兵衛の助力によって築窯された若杉窯、また古九谷再興を目標に掲げ、大聖寺の豪商・豊田伝右衛門によって開かれた吉田屋窯など、どれも個性的な九谷様式にのっとった作風を展開し、九谷焼の火がよみがえったのです。そして明治以降、多くの絵付師や工人たちにより次々と新たな技法が創出され、現代の九谷焼へとつながっていきます。とくに九谷五彩といわれる緑・黄・赤・紫・青の5色を基本とした上絵を伝統としながらも、昨今では、新しい感覚のデザインや絵付、それに斬新な造形による作品も多く作られています。もっと詳しく

九谷焼写真1 九谷焼写真2

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