壺屋 (つぼや)
(沖縄県那覇市) 

東ヌ窯は、壺屋開村当時の拝領窯といわれています。
やちむん通りで出会う
沖縄の手仕事

 沖縄では、やきものを「やちむん」といいます。 約320年前、琉球王府の命令によって沖縄各地に点在していた窯元が集められ、やちむんの村が誕生しました。 それが、壺屋です。
 現在の壺屋はどうなっているでしょう。 那覇の観光名所・国際通りから歩いて5分、と聞くと、「本当にそんな所に窯場があるの?」と思ってしまいます。 確かに都市化が進み煙害を理由に登窯が使えなくなると、読谷(よみたん)など、他の地に工房を移す窯も増えたと聞きます。
 よぎる不安を押さえ、壺屋のメインストリート・やちむん通りに足を向けると・・・。 沖縄のやきものの原点はビルや民家に囲まれながらも、ちゃんと健在でした! とにかく、やちむん通りをブラブラ歩いて沖縄の風を感じてみましょう。 この通りと、うねうね続く裏の路地に壺屋のすべてがあるのですから。
 やちむん専門店、工芸・民芸店、ギャラリー、シーサーの店・・・そして、工房。 それぞれに個性があって、見とれているとアッという間にタイムオーバー。 だから散策はほどほどに、いくつかの見学ポイントを押さえておきます。
  まずは通りの西端にある「壺屋焼物博物館」へ。壺屋の町と壺屋焼の概観がつかめます。 その隣に建つ「壺屋陶芸センター」は六窯元の共同直売店。 品数が豊富なので、現在の作品動向や価格帯もチェックしておきます。 同様の大店舗は通りの東端
沖縄特有の徳利・カラカラ(右)とぐい呑。
写真協力:沖縄観光コンベンション
にも。 陶器事業協同組合運営の「壺屋陶器会館」です。 そして見逃せないのが、壺屋のシンボル・東ヌ窯(あがりぬかま)と南ヌ窯(ふぇーぬかま)です。 壺屋焼には、大別すると無釉焼締めの荒焼(あらやち)と、釉を掛ける上焼(じょーやち)があります。 東ヌ窯は上焼を、南ヌ窯は荒焼をそれぞれ焼いてきた歴史的な登窯です。
 さてこの後は、やちむん通りに並ぶショップや路地の工房見学を心おきなくどうぞ。 それに、やちむんだけでなく、漆器、ガラス、紅型(びんがた)、芭蕉布・・・。 どうやら壺屋では、沖縄の手仕事の虜になりそうです。
取材:2002年






壺屋焼の巻 
壺屋のやむちん通り入口にある壺屋焼物博物館。

抱瓶は携帯用の泡盛容器。
(壺屋焼物博物館にて)
 壺屋は、読谷(よみたん)と並んで沖縄のやきものの聖地。 その壺屋焼と聞けば、皿や壺に描かれた大らかな魚の文様がすぐに思い浮かびます。 化粧泥にくっきりと線彫りされ、コバルトや飴釉、赤絵で彩色された絵はとてもエキゾチックで、琉球文化の存在感をつくづくと感じさせてくれるのです。 今回は、そんな魚文にズーム・アップ!
 魚、エビ、カニなどの海の生き物はたしかに壺屋焼の代表的な図柄ですが、ほかにも草花文、唐草文、鳥文などの多彩な意匠が伝統的に描かれてきました。 そんななか魚文が私たちに強く印象付けられたのは、やはり、沖縄初の人間国宝・金城次郎の影響が大きいのでしょう。
 地元では「次郎さん」と親しまれ、一陶工として生きた人。 20代からものづくりとしての頭角を現し、作るもの、描くものには比類のない躍動感が溢れていたと今も語り継がれています。 その天賦の才を示すエピソードが一つ。 壺屋焼を世に知らしめた民芸派の巨匠の一人であり、自らも「沖縄で学んだ」と語るほど壺屋のやきものを評価した濱田庄司は、「次郎以外に笑った魚や海老を描ける名人はいない」と賞賛したそうです。 その作品の一端が「壺屋焼物博物館」に展示されています。
 時を経て磨かれてきた魚文。 壺屋ではぜひ、笑顔の魚文を見つけてみませんか。
取材:2009年
閉じる