全国旅手帖大樋焼(歴史・特徴)

大樋焼写真 大樋焼タイトル

 寛文6年(1666)、加賀藩主五代前田綱紀は茶の文化を育てようと考え、裏千家四世仙叟(せんそう)宗室を茶道奉行として招きました。その際に茶碗師として同道した陶工が初代長左衛門です。
 長左衛門は最良の陶土を探し求め、大樋村にそれを発見したことから大樋焼と呼ばれるようになりました。
 大樋焼は京都・楽家の脇窯(楽家以外で楽焼を焼く窯の総称)です。明治以降、日本各地に楽焼が広がりましたが楽家の技術を直接受け継ぐという意味では、大樋焼は現在ただ一つの由緒ある脇窯といえるでしょう。

 緻密な土質に赤黄色の俗にいう大樋飴釉をかけ750〜850度の低温焼成で、渋い茶褐色の光沢ある器肌が特徴です。

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